以下、霧子GRAD編およびいくつかのコミュのネタバレを含みます。注意。
すごく良かったです、霧子GRAD編。
個人的には、「痒いところに手が届く」というよりも良い意味で「痛いところを突かれる」シナリオだった。霧子のアイドルとしての、あるいは一人の人間としての『限界』を突きつけられたからというのもそうなんですが、その限界を見て見ぬふりしてきた自分に気づくことになったからです。
幽谷霧子は心優しくて感性が独特でちょっぴり心配性で、国医を狙えるくらいには勉強が得意で、他にもいろいろ人よりちょっと特別なところがあるだけの普通の少女です。それは普通じゃないのでは?と言われそうですが、
「みんな特別だし、みんな普通の女の子」。これを標榜するシャニマスですから、霧子にだって当然「普通の女の子」としての生活が、人生があります。毎日高校に通って、体育館にスプレーを忘れそうになったり、テストに備えて帰り道に単語カードをめくったり、本屋で参考書を探したりしています。2年生なので、そろそろ本格的な進路指導も始まります。
今回のシナリオの何が好きだったかというとまさしくここで、ねずみさんととりさんの寓話を絡めることでいつものように児童文学めいた霧子ワールドを展開しつつ、テーマとしてはごく普遍的な「進路についての悩み」「将来への不安」を中心に据えているお話なんですよね。いわゆるサザエさん時空で物語が進んでいくアイマス作品でここまで踏み込んだ話をするのがまずけっこうすごいことだし、それをどこか超俗的な雰囲気をまとった幽谷霧子というキャラクターのシナリオでやるのもすごい。絵本の世界と現実世界、ねずみさんととりさんに投げかけられた問いと霧子が今まさに立っている人生の岐路、これらが重なり合い交じり合いながら物語は展開していく。
やさしくいたくて/やさしくていたい
まず驚いたのは、最近だと円香のWING編なんかでも描かれてたような「競争相手」としての他アイドルの登場。
霧子のコミュは自分の実力に悩みや不安を抱える彼女の姿が描かれることはありこそすれ、終始和やかで温かい空気のうちに終わるものが今までほとんどだったから、突如浴びせかけられたむき出しの感情は霧子にとっても私にとっても、すごく衝撃的なものだった。
頑張っても頑張っても、たった一度のケガでステージに立てなくなる人がいる。傷が癒えるのを誰も待ってなんてくれない。なぜならアイドルの世界はどう取り繕っても競争社会で、上を目指す者がいれば必然的にそれに蹴落とされる者も生まれる構造になっているから。霧子ひとりの優しさが一体何になるというのか?アイドルの彼女も、そして霧子自身もそんなことを考えてしまうわけです。これはアイドル・幽谷霧子の根幹を揺るがす問いですが、
実はWING編の時点で既に通過した問いでもあるのです。
「霧子の気遣いや思いやりはもっと多くの人に届く」「勝って、負けた人も笑顔にする」。そう答えを出したはずの問題がGRAD編で改めて問い直されたわけですから、そこにはきっと何か理由が(有り体に言えば、脚本上の意図が)あるはずです。
作用スペクトル
きっと何か理由があるはず!と大口を叩いたけど、これから書く話は私の推測というか、「自分はこう解釈した」の域を出ないものだということは最初に断っておきたいです。
「霧子が、お日さまなんだ……」、今やセリフが一人歩きしてしまってる感が否めないんですけどコミュの流れとしては「長期入院の患者さんにお日さまの匂いがするシーツを届けたくて洗濯を頑張る霧子と、そんな霧子の優しさそのものが『お日さまなんだ』と気づいたP」というもので、突拍子もないセリフというわけでは全然ないんですね。みんな!【天・天・白・布】を読もう!今ならプチセレチケットたったの5枚で交換することができる!!
きっとPの目に霧子が「お日さま」として映るのは、病院の患者さんだとか、ユキノシタさんだとか、あるいはオーディションの他の応募者であるとか、そういう自身を取り巻く存在すべてに彼女が向ける優しさを知っているから。そして彼女の目を通して見る、世界の鮮やかさを知っているから。
霧子が「お日さま」なのは、霧子の語る世界があまりにもあざやかだからなんですよね。彼女が触れたものは命を吹き込まれたかのように生彩を得るし、彼女が見たものはまるで惑星が太陽の光を反射して瞬くようにきらめきを得る。万物が内に宿す色彩をそのまなざしによって引き出す、そんな「お日さま」。
— neuro (@NeuRo1616) 2019年7月10日
霧子の心優しさも独特な世界観も、彼女の豊かな想像力や高い共感性に由来しているということは多くのコミュから窺える。何かと心配しすぎるきらいがあったりそのせいで失敗して自信をなくしてしまいかけたことがあったのも、霧子の感受性の強さの表れであるといえる。そんな彼女の感性に寄り添い、不安を取り除き、新たな魅力を引き出すのがこれまでPが担ってきた役割だった。
ところで、霧子のコミュって基本的には霧子とP二人きりの対話で話が進んでいくというか、比較的ファンとの交流(雑誌のコラムやラジオなども含む)の描写が少ない印象があるんですよね。ここでのコミュとは主にプロデュースイベントとアイドルイベントのことを指します。理由として考えられるのは、霧子はもともとアイドルという存在そのものに憧れて283プロの扉を叩いた子ではないので(これはWING優勝後コミュを読めばわかります)、アイドルとしての仕事ぶりよりも先に「どのようにして彼女が自己表現の楽しさに目覚めていくのか」を描く必要があったということ。あと単純に彼女の一筋縄ではいかないキャラ造形をじっくり時間をかけてプレイヤーに掴んでほしかったのかなと思ったりもするんだけど、とにかく今までの霧子のコミュは「霧子の目に映る世界を、Pの目を通してプレイヤーが覗き見る」という構図をとりがちだったように感じる。
GRADのシナリオはそうではなかった。この物語の中で霧子が対峙していたのは足と心を痛めたあのアイドルであり、彼女の将来を案じてくれた担任の先生であり、そして答えの出ない悩みに囚われた自分自身だった。控室を飛び出したアイドルと出会った時も担任との二者面談の時もその場にPはいなかったし、
アイドルの彼女がGRADを棄権したと聞いてショックを受けた霧子に対して、Pがかけた言葉は存外に現実的というかドライなものだった。これまでPは霧子の心のやわらかい部分にも極力寄り添い共感しようとする姿勢を見せてきたからこのセリフには少し驚かされたのだが、彼は霧子が「負けた人も笑顔にできる」力を持ったアイドルだと心の底から信じているのだからこう声をかけるのも当然といえば当然だろう。ここに、霧子は「お日さま」だと言い切れるPと、アイドルとしての自分にそこまでの自信を持てていない霧子の認識の隔たりがある。
霧子がこう語ったように、Pはこれまでに"霧子の知らない霧子"をたくさん見つけて輝かせてきた。GRADの霧子がこのままアイドルを続けることにどこか負い目のようなものをたびたび滲ませていたのは、楽屋での一件を機に彼女が「わたしはいつも誰かに助けてもらって、誰かに譲ってもらって、アイドルをさせてもらっているだけ」という思いを強めていってしまったからだろう。であるがゆえに、これからはただ輝きを見つけてもらうだけでなく。霧子自身が自ら輝きを放とうという意志を持たなくてはならないのだ。
……というポエジーは置いといて、霧子GRADのコンセプトはずばり「3年目にしての転換期」なのかなと思います。Pといいアンティーカや283プロの面々といい、アイドルを始めてから霧子の周りには幸運なことに彼女の感性を肯定し慮ってくれる人たちばかりが集まっていましたから、仕事でもプライベートでも彼女が何らかの形で否定されるエピソードというのはほとんどありませんでした。それこそストーリー・ストーリーくらいかな?そんな中現れたのが前十字靭帯を痛めたというアイドルのあの子です。彼女の言い分がただの八つ当たり、いちゃもんでしかないのは見ての通りですが、ミドルティーンまっただ中でかつ進路選択を間近に控えた霧子のアイデンティティを揺らがせるにはそれだけで十分です。プレイヤーである私にとっても彼女の言葉は強烈に響きましたし、今回の一件を経て改めて霧子の繊細さと無力さ、そしてそれでも諦めずに自分にできることを模索し続ける強さを再確認することができました。霧子の内に持つ輝きを引き出すためにはまず彼女の感性に寄り添うことが不可欠でしたが、2年間の積み重ねを経ていよいよこのような形で霧子の魅力を描く段階に入ったんだなあとしみじみしたものです。
これから先、この手の否定から入る肯定は霧子のコミュでも増えてくるんじゃないかな~と予想しています。具体的な話だと5周目pSSRが非常に楽しみな半面ドキドキする気持ちもある(そもそも引けるかどうかという意味でも)。なぜ3年目に突入した今のタイミングでなければならなかったのか?もっと早くに取り扱ってもよかったのでは?という疑問については、彼女の抱える脆さがアイドルという職種由来のものではない点が関わってくるのではないかと思っているのですがそれはまた後述。
ところで霧子が模試を受けるシーンなんだけど、
作用スペクトル、ざっくり「どんな色(波長)の光だと光合成が行われやすいのか」を表したものって認識で合ってるでしょうか。これ、なかなか示唆的だなあと感じました。霧子の光は誰に届くのか。どうやって届ければいいのか、届いたとしてその光は本当にその人の心のなぐさめになるのだろうか。彼女は今まさにそれを問われているのですから。
【伝・伝・心・音】をどうか読んでくださいという話
もしこの文章を読んでいる人でまだ【伝・伝・心・音】のコミュを読み終えていない人がいるのなら、できれば今すぐに読むことをおすすめします。個人的にはそれくらい霧子GRADにおけるこのコミュの重要度は高かった。
控室前での一件以来、霧子とPの会話はどこか初期の二人を思わせるようなぎこちなさともどかしさのあるものになってしまいました。【伝・伝・心・音】はまさしく互いの想いをうまく伝えられずにいた頃の二人が、置き手紙やメールといったさまざまなツールを駆使してコミュニケーションを図るお話なのですが、GRADにはこのコミュのセルフオマージュらしき描写が盛り込まれています。
お花の水やりをする霧子を褒めてあげたいものの、うまく霧子と話せずに悩んでいるPは鉢植えに『ありがとう』と書いたメモを残すことを思いつきます。ある日霧子はメモを書いたのがPだと言うことに気がつくのですが、彼女は「お花さんからお礼を言われてるみたいで、毎日幸せな気持ちになれた」とPに感謝を述べ、結果的に彼女とPの心の距離はぐっと近づきました。
さて、鉢植えに残したメモといえば
『相談』で霧子がユキノシタさんに悩みを打ち明けるのを偶然目撃してしまったPですが、選択肢「付箋……あったかな……」を選ぶと、ユキノシタさんの鉢植えに残すつもりだった付箋を最終的には「自分から声をかけて手渡す」ことを選んだPの姿を見ることができます。これは明らかに【伝・伝・心・音】の『どなたですか』の一件を踏まえたものです。霧子とPの間にかつてのようなすれ違いが生じてしまっていることを表現しつつ、Pの成長や霧子と過ごした時間の積み重ねを実感することができるすごく素敵な描写だと感じました。また、選択肢「霧子の言葉を聞かなきゃ」を選んだ場合Pは先回りしてユキノシタさんに水やりをすることで霧子との会話のきっかけを作るのですが、Pが鉢植えへの水やりの方法を霧子に教わったのも【伝・伝・心・音】の『どなたですか』での出来事です。
また、『相談』では霧子が進路に思い悩むあまりうっかりユキノシタさんに水をやりすぎてしまう姿も描かれていました。
これはゼラニウムさんの話ですが、霧子が普段からお花さんたちに対して非常にこまやかな心配りをしていることがこのセリフから窺えますから、そんな彼女が心ここにあらずといった様子で水やりをしているのがどれほどの異常事態なのかがよくわかります。
全然関係ない話なんですが、この『もしもし』は喉を痛めた霧子のためにメールを用いた会話をPが提案するというお話で、何がいいってメールだといつもよりも口数が増える霧子が本当にかわいいんですよね。【伝・伝・心・音】のコミュは霧子にもPにも思わずふっと笑ってしまうような面白おかしさといじらしさがあって、どれもすごくお気に入りです。こうやって霧子とPが互いに試行錯誤を繰り返しながら信頼関係を築いていった過程をじっくり描いてくれたシャニマスが好きだ……
迷っていいんだ
霧子は元々『パン』をつくりたい側の人です。【霧・音・燦・燦】では病院に入院したばかりの子供のために糸電話を作る姿が、【鱗・鱗・謹・賀】ではお嫁に行くおばあちゃんを励ましてくれた着物の魚たちのように、自分も誰かを励ませるようなアイドルになりたいという思いを語る姿が描かれました。イベント「おもちをつこう」では、ボランティアの読み聞かせ会に向けてアンティーカのみんなの力を借りながら世界に一冊だけの絵本を作り上げました。しかし、この絵本を締めくくったのは
仲間の力を借りておもちを完成させたうさぎが、霧子の胸の内を代弁するように「すこうしじしんがたりない」ことを告白するセリフでした。このことについて、霧子はPはこう語ります。
GRAD編はまさしくこの「これから」の話であったといえるでしょう。霧子はこの頃からずっと「Pやアンティーカのみんながいないと自分は何もできない」という思いを心の中に秘めていたのかもしれませんが、決してそんなことはありません。現に霧子一人で立ったGRAD決勝のステージは、足を痛めたアイドルのあの子にとっておきの『パン』をもたらすことができました。
霧子の言う通り、この先アイドルの道を進むとしても大学受験を選ぶとしても「誰かが勝ったら誰かが負ける」システムは必ずついて回ります。たとえ霧子が大学に合格して無事お医者さんになっても、いいえそれどころか死ぬまで一生。彼女は「生きてるかぎり誰かに譲ってもらわなきゃいけない」事実にその優しすぎる心を痛め続けなくてはならないのでしょう。だからせめて、自分が選んだ道を後悔しないために彼女は走り続けます。
青空の下を走る霧子がただただ眩しい。何回でも言うんですけど、霧子の独特の価値観や感性、それゆえの苦悩が進路選択とか大学受験とかそういうごくごく普遍的なイベントを通じて描かれるところにたまらなくぐっとくる。
迷ってもいいし、他の人を頼ったっていい、彼女が納得できる答えにいつか辿り着けますように。
ストレイGRAD追加までになんとか書き上げられて今ホッとしています