ニューロン活け造り

おすすめはわさび醤油

第十二回歌会

 

シャニマス詩歌部さんの第十二回歌会に参加させていただきました~

以下提出した二首の自解です。

 


題字『十』

 

黒猫は十度とたびの生で尾をうしなひしじまの熱はルウジュに沈む/杜野凛世

 

英語のイディオム「a cat has nine lives(猫に九生あり)」を下敷きにした短歌です。

猫は物を言わないけれど、安心を感じてゆらゆら揺れるしっぽや寄り添い合った時に伝わる熱はどんな言葉よりも雄弁にそこにある愛情を物語っているのかもしれない。九つぶんの命を終えた猫は十回目の生で人間になったけど、言葉を紡ぐためのくちびるからはなかなか猫であった頃のように素直な想いを形にすることができないでいるね、という感じのストーリー。

猫にも(【ふらここのうた】フェス衣装など)口紅にも(【十二月短篇】など)縁のある凛世に、彼女は自分のことを十度目の命を持て余している黒猫のようだと思っているかもしれない、あるいはそういう創作物に触れてその哀愁やもどかしさを自分のもののように痛切に感じるかもしれない、そんな想像を託しました。

旧仮名・文語短歌へのあこがれがあり度々トライしているのですがどうも垢抜けないというか半端な手触りが残る。これからも懲りずに挑んでしまうのだろうけど。

 

 

題字『秋』

 

「なんかさ。いつのまにか来てるよね、秋」呟く君の髪を透かす陽/樋口円香

 

ほぼ即詠。太陽、特に夕日のモチーフが、樋口円香さんについて語られる場でしばしばアイコニックに用いられていること(【カラカラカラ】、【射陽】、凛世&円香の掛け合いホームボイスなど)を思い出しながら生まれた歌でした。

これすき

【オイサラバエル】では彼女の「形のあるもの・目に見えるものはいずれ極まったところで落ちていく(だから真に美しいものとは透き通ったものなのだろう)」という価値観が語られましたが、この『極まったところからの凋落』や『満ち足りたもののゆるやかな衰退』のイメージは、秋という季節とも重ねられるものであると感じます。

「君」=浅倉透で、円香の目に映る透の姿は、春の芽吹きも、夏の栄えも、秋のやがて刈り取られる豊かな実りもかろやかに飛び越えていくものであったらいいなという思いを乗せた歌でしたが、円香の透に対する複雑な心象を表現しうるほどの深みのある詩情を持たせてあげられなかったことが残念。浅倉の口調エミュむずかしいし、髪が西日に透かされるのも平易な表現だし。

 

 

改めて歌会お疲れ様でした。企画・運営ありがとうございました!

自分にとっては初となる本歌会への参加だったのですがとても勉強になりました。楽しかったです。すてきな歌にたくさん出会えてハッピ~