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まほやく雑記 - 南の国

 

のいろです。ひさしぶり! 一年以上ご無沙汰だったのはさすがに自分でもびびるね

今年はもうちょっとここ使いたいね〜というか書き癖つけたいね〜 140字に収まらないこと、いっぱいあるはずなのにね。

今回は2周年記念のメインストーリー開放キャンペーンをきっかけに始めて*1、それから今日まで興味深くプレイさせてもらっているまほやくこと魔法使いの約束の話をしている。

ただ、このゲーム、とにかく過去のテキスト量が膨大で、それを読もう読もうと気が逸ってしまう自分がいて。今思っていること、感じたこと、そういうものを取りこぼしてしまいそうで、それはちょっといやだなあと思わせてくれるコンテンツでもあって。

だからセーブポイントというか、一度自分がこの作品から受け取ったものを整理できるだけしてみよう、というのがこの記事の趣旨となっています。

メインストーリー/キャラエピソード/スポットエピソード/親愛ストーリーの内容を中心に触れていきたいと思います。既読イベントのうち2nd・ひまわり・お伽噺・ペールノエル・カエルあたりへの言及がうっすらとある。

南以外の国もスポエピ100%になったらなにかしら書きたさあるけどいつになることやら…


空を舞うよなかなしさを——フィガロ

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フィガロ先生は、まああけすけな言い方をしてしまうなら、ひとでなしというやつだなあと思う。だって普通のひとは2000年も生きたりしないんだからしゃあねえよと思わなくもないのだが、どうやら本人にとってはしゃあねえじゃんと居直れるものでもないらしい。

彼のなしてきたことを辿っていったら、そこに浮かび上がるのはあまりにも無秩序で現象的な力のうねりだ。オズの世界征服の手引きをしたかと思ったら、それによって招かれた戦乱を収めるべく立ち上がったファウストたちに力を貸し、かと思えばふいに離れて、南の国で開拓者たちと交わり、今ではか弱いお医者先生ときた。あのね、南の優しいお医者さん32歳はふつう籠絡とか言いませんよ

実際フィガロ先生ってメインストーリーじゃいまいち腹の内が読めないままどかんどかんとそれなりに目立つ暴れ方をしていらっしゃるわけだが、翻って彼が中心となって展開される病の沼のメインエピソードは静的で、淡々としていて、言いようのないうら寂しさが後を引くものだ。のいろは単純なので、こういうギャップを目にするとあっさり興味を喚起されてしまうのである。

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親愛ストーリー7話では、心細げなそぶりで「手を握って」と求めてくるフィガロに対して、迷わずその手を取るか躊躇しながらも応じるかという二つの選択肢が示されている。そしてどちらを選んでも、彼の手は賢者の手の中で冷えきったまま、彼の抱える二千年ぶんの孤独を何よりも雄弁に物語る。

自分はこれがけっこうゲーム体験として衝撃だったというか、引きずってるというか、ああ哀しいなあという気持ちのまま、彼というキャラクターと向き合い続けている。

フィガロ先生を苛む孤独感というのは、どうも彼自身の性質というものが要因として大きいらしい。

切り替えが早い。見切りをつけるのも早い。総じて諦めがいい。たぶんそれは長寿の彼が心を守るための一種の生存戦略で、そのさまは空を漂う鷹にたとえられる。土地に根付けず、人に執着できず、手放し飛び去ることばかり上手くなり続けた悠久の漂泊。

効率主義。手段を選ばない。薄情と言われるようなことを平然とやってのける。彼は自分のそういうところを"あるべきものの欠けとして見られるもの"といったような認識をしているらしく、南の優しいお医者さんとしてはみょうに誤魔化そうとする。感覚的に人間に寄り添うのが難しいから、理屈で世間一般の倫理や道徳といったものをなぞろうとする。まあできてないから数々の問題発言があるわけだけども。レノックスをして「不器用」と言わしめる部分がこれだ。

年中氷の張った湖みたいなひとだな、と思っている。春が来ても、陽光にあぶられても、けっして融けることなく寒々と冴える諦観に蔽われた湖面。その下に湛えた水には数え切れないほどの離別と喪失が溶け込んでいるけど、すでに形を喪っているからひとつひとつをさらうこともかなわない。だから、その氷を砕いてしまうほどの、湖水を残らず干上がらせてしまうほどの熱情を、『真実の愛』と名付けて夢見てるのかもしれない。

わたしが知っているのは南の魔法使いになってからのフィガロ先生だけで、わたしが思っているよりずっと彼に流れている血は冷たいのかもしれない。でも、寂しがりでなんだかんだ人助けを好んでいて、いずれ自分を置いていくとわかっている命たちに何回も何回も関わりに行ってしまう……そういう生き方は、真実の愛とは程遠い、気慰みの道楽にすぎないのだと、自分に言い聞かせるように語る彼の姿を目にするたびにわたしは悲しくなるし、むっときて反論したくなる。

と思ってたら賢者さんが言いたいこと言ってくれてるんだよねえ

今は情報社会で世界中のことを見渡している人が多いから、「自分も死ぬまでに何かを成し遂げられるのかな」とか「死ぬまでに誰かと思いきり心をつなげられるのかな」という気持ちなどから、フィガロにシンパシーを感じてくれる方が多いのかなと思っています。

 出典:【インタビュー】現実世界を強く生きられるような物語を――『魔法使いの約束』都志見文太の創作論

現代の日本って情報過多の社会で。コミュニティはあぶくのごとく生まれては瓦解し、トレンドは目まぐるしく移ろい、エンターテイメントの消費速度はインターネットの普及によってぐんと増した。ちょっと前じゃ数十年、あるいは数百年かけて人生を通り過ぎていったであろう人が、物が、情報が、蛇口をひねるようにとめどなく目前を流れていく。

そんな時代にあって、フィガロ先生の抱えるむなしさってそう縁遠いものでもないんじゃないかなーと思ったりする。少なくとも私は、彼にもどかしさを感じこそすれ、迷子の二千歳のまどろっこしい戯言だとあしらう気にはとてもなれないでいて……だからこそ自分のことみたいに怒ったり、悲しくなることもあれば、祈るような身を切るような心地で見ている時もある。あなたのこともっと知りたいな。

 

花のごとく生きること——ルチル

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ルチルさんのお話しようと思ったら「こんなにキュートで強くてかっこいいルチルさんをもっとみんなに見てほしい!シュバババ(スクショ連投)」になりそうな自分をなんとか抑えながらこれを書いている。だっておれがうだうだ並べる御託よりもルチルさんの言葉にひとつでも多く触れてほしいから………

ルチルという人物についてごく個人的に語るなら、読者を……つまり私のことなんだけど、その手を引いて『魔法使いの約束』という作品との触れ合い方というか、歩き方を教えてくれたキャラクターが彼だ。ルチルさんの言葉は清廉で、明朗で、外にひらかれている。だから斜に構えている自分が気恥ずかしくなって、こちらも心をひらいてテキストに向き合おうという気持ちにさせてくれる。

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南を象徴するセリフだなあと思っているもののひとつに、彼の「そんな理由で役目についたら、お人好しになりたい時、弱りたい時、心のままに動けなくなるでしょう。」がある。最初に読んだ時は、はっと目の覚めるような驚きがあった。どうにも気持ちが弱ってしまって、強がれない、一人で立っていられない時があったとして。それもまたあるがままの心の様態なのだから、そのままに弱ってしまえばいいのだと彼はあっけらかんと言ってのける。

弱さの肯定って話になると、南の魔法使いにヒーラー属性が集中してる(治癒魔法が得意なルチル、医者のフィガロ、特技が製薬のミチル)のもきっと無関係ではないよなーという気がしている。それが魔法によるものであれ医学・薬学によるものであれ、『癒す』という行為には、対象者から治療者への「この人になら弱った姿を見せてもいい」という信頼や安心が不可欠だからだ。

誕生日おめでとう、ミチル。魔法舎にきたばかりの頃、俺の目が見えないのを心配してルチルと一緒に手を引いてくれていただろ?おまえ達がいてくれて、すごく心強かったことを覚えている。南の魔法使いは、他の魔法使いにない強さを持っていると俺は思うよ

これは3年目ミチルBDのカインのお祝いボイスだけど、まさしく彼の厄災の傷がそうであるように(それが身体的なものであれ精神的なものであれ)傷病というのは、得てして本人の意志や努力ではどうにもならないもので。人がそういうものとどうにかこうにか付き合っていくための手助けを、南の魔法使いは得意とするのだろう。そしてその「他者の弱さを受け止める強さ」を最も体現しているのはルチルだと自分は感じている。

で、弱みを他人に決して晒そうとしない、晒せないのが北の魔法使いの在り方なんだよね〜というのがルチルとミスラの関係性の妙なのだと思うけど…このへんはまだまだテキスト読めていないので今後が楽しみだ。(イベント「お菓子と可笑しなお伽噺」は南不在のエピソードだったことで他者に助けを求めることができる子供たち⇔求めなかったし求められなかった、求めたくないオーエンの残酷なまでのコントラストがより強調されていたなあとか思ったり)

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ルチルは心のままに生きるということを、言葉の力で実践しようとする人だ。彼は日常を華やがせるもの、あざやかに彩るものを草原の花にたとえる。いつかその輪郭はほどけ忘却の淵にさらわれていくのだとしても、それを見てちょっぴり豊かになった心は生涯の道連れになる。そんな美しいもの。

ルチルもまた、野に咲く花のような人だなあと思う。可憐に見えてたくましく、嵐に負けない靭さを持つ命。奇しくも彼の母チレッタが、ミスラに「花のような人」と評されたように。地を裂き海を割る大魔法は使えない彼だけど、そのたゆまぬ対話の姿勢は人々の心にそっと根付き、安らぎを与え、今日を生きていく活力になっていくのだと信じてるし、信じていたいな。それは画面を隔てて魔法の存在しない世界を生きるわたしたちにもかかることができるし、使うことのできる、唯一無二の魔法だと思うから。

心をときめかせる秘訣は、素敵なものたちとの出会いだ。そして、それはささいな日常の中にある。見慣れたキッチンや、朝の景色、大好きな友人の言葉や、見上げた空模様に、どきどきの欠片はある。南の魔法使いたちは、そのことをよく知っている。

 — Special Short Story 南の国|魔法使いの約束 1st Anniversary Book / Under the moonlit


牧人の杖がつかむのは——レノックス

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「雨宿りのカエルのエチュード」の賢者さんのこのレノックス評がわたしはとっても好き。咲くがままの野花ではなく、見る者のために摘み取られ整えられた花束であるところに味がある。

レノは二面性があるというわけでもないんだけど、あまりひとつの切り口にこだわるべきではないキャラクターだなという気がして書き出しをどうするかけっこう思案していたところがあり。だって彼に焦点を当てたレイタ山脈のメインエピソードは、

この生き物のことを何も知らない。穏やかで、大人しく、従順なだけじゃない……。

という賢者さんのモノローグで締められるくらいだから。

レノックスといえば、わたしは1周年カードで彼と対応させられていたアルカナが運命の輪だったのがすごく好きで。

彼は特別長命というわけではないけれど、その半生はまさに激動と言っていいものだ。故郷の炭鉱でも、軍属として赴いた戦地でも、死は当たり前に彼の隣にあるものだった。ファウストと出会い共に追った夢も地に堕ち潰えて、彼は四百年の放浪の中に身を置くことになった。「そんな人生を辿ってきたからこそ、彼は穏やかで、優しいのかもしれない」というのは賢者さんの言だ。

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世界の運行、自然の循環。人が運命なるものに翻弄されながら生まれ、老いて、死んでいくということ。運命の輪の寓画が示すそういったものを、透き通った目で見通しているのがレノックスという人なのかなあと思う。フィガロのような冷然とした達観とも違った、人が悩み惑い時に挫折を味わいながら生きていく道のりそのものへのどっしりとしたまなざしがそこにはあるような気がする。彼がオズやアレクへの恨みの感情を持たないのは、きっと彼らが取り巻かれていた『運命』……目に見えないおおきい流れにすらも心を添わせる人だからじゃないだろうか。

とはいえ、運命を見澄ますということは、彼の場合「それに流されるがまま生きる」ということを意味してはいないように見える。彼は羊飼いで、その手に持った杖は群れからはぐれたり崖から落っこちそうな羊をつかまえるためのものだ。

そう、レノは待ち受ける運命に手をこまねくどころか、それに意地でも食らいついてみせるという意志が……めちゃくちゃ強い。親愛ストで賢者さんと約束を交わすのがレノックスただ一人であることの意味よ、となる。彼の魔道具である鍵は、回転運動を伴う点で運命の輪のモチーフを連想させるものだ。400年前、投獄されたファウストを前にしてそれを回すことなく立ち去らざるをえなかった悔恨を胸に、彼は言う。「今度こそ」と。「もうあんな悲劇は見たくない」と。

時に誰かの人生に埋没してしまうような祈りや痛みを拾い上げる優しさをもって、時に自らの命をも擲つ激しさをもって流れゆく世に対峙する。そういう在り方が、レノックスの静と動、穏と烈を併せ持つ、一面的には捉えがたいキャラクター性を形作っている、気がする。

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「どこにいても、生きている限り誰かの何かになっていくはずです」。先に触れたルチルの言葉と並んで、南の国が掲げるテーマのひとつと言えるセリフだと自分は思っている。ひとの営みの一部となる根源的なよろこびを素朴に謳い上げているというか……。南の魔法使いは助け合いや連帯を是としどちらかというと孤独を厭う傾向にあるけれど、その中にあってレノの「孤独」観は南の人らしいなあと思うことも、ちょっと離れた座標に位置しているように感じることもある。物理的にも生活拠点がひとり離れていたひとだし。(魔法舎で彼だけ自室が違うフロアにあるのもひょっとしたらその関係かもしれない)

嵐の谷のスポットの印象(4)で、レノックスはファウストの隠遁生活に思いを馳せ

……ここは、少し寂しいところですね。

俺は、いつも人に囲まれて慕われているファウスト様しか知りませんでした。だから……。

町の中で人のふりをしているでもなく、森の中で本当にひとりでいらしたんだと……そこは、どうしても、寂しくなってしまいます。

と述懐する。スポットの印象(3)で「俺は絶対にさみしいもん。こんなところ、ひとりで堪えられないよ」と語るフィガロとは好対照をなしている。

なんて言えばいいのかな、レノ自身はさみしがりというより「誰かの何かでありたいし、そうあれるなら幸せ」って人なのだなあ。そして「誰かにとっての何かであってほしい」という願いを他者に向ける人でもある。それが幸せに繋がると信じて。逆にファウストは自分が何であるのかを強固に定義付けていましめる人だから、ここの主従が時々バチバチにぶつかり合うのもむべなるかなという感じだ。のいろは我の強い人が好きだから、無責任にもこの二人を見てるとでかくて強いカブトムシを戦わせてる気分になってくる(場合ではない)。2ndでは双方譲らないまま一応の決着を見た彼らだが……これからどうなっていくんだろうね〜〜〜


地平をゆくきみを思う——ミチル

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み、ミチル〜〜……今後まほやくのお話の本筋の部分に一区切りつく時が来るとして、ミチルが心から笑えるラストじゃないと悲しいな。魔法使いの一生はあまりにも長くて、メタ的にも賢者さんはいずれ元の世界に帰る時が来るという事情的にもわれわれが見届けられるのは彼の人生のほんの一端で。「おのれが観測できる範囲で報われるものがあってほしい」って身勝手な願いだよなあと思いつつも、そう祈らずにはいられない自分がいます。

ミチル、何をやったって「でもこの先に例の予言が待ち受けてるんだよね」というリアクションを喚起しかねないキャラクターであるところが、(あえて言葉を選ばずにわたしのむきだしの所感を述べるなら)歯がゆいし、いやらしいとも思うし、実際これだけ強烈なフックを用意しておいて一体このキャラクターをどんなところに帰結させるつもりなのだろう?という期待と不安が両方ありもする。だからと言って……今描かれているものを悲観的に受け止めすぎるのはやっぱり個人的にはやりたくないことで、彼の葛藤や奮闘や苦悩や決意を、伏線とか布石とかそういう言葉でインスタントに消費しかねない自分への戒めの気持ちを常に持ち続けていたいと思っている。つまるところは「目の前の物語に真摯でありたいよね」といういつものやつなんだけど、まあこれも自己満足の話だ。

物語の外側からの話ばかりしてしまった。各種イベストや年次BDボイスなどを見ていて、メインストーリー第1部からの変化がもっとも顕著に感じ取れる魔法使いとして、自分はミチルを挙げたいと思う。(しかし同時に、先に引用したカインの言葉からも窺えるように、賢者の魔法使いになったばかりの頃から変わらない彼の美徳もまた他の魔法使いたちの心を動かしてきたことが描かれているところがよいのだなあ)

その刺繍を見つめる眼差しに、間違いなく、母の友人だろうとミチルは思った。ミチルにとってミスラは急に現れた部外者だけれど、ミスラにとってはルチルやミチルたちのほうが、急に現れた部外者なのかもしれない。

それでも、彼は花束を持って訪れてくれた。

これで冷たい態度を取ったら、自分の方が意地悪な北の魔法使いだ。

 — 南の国書き下ろしストーリー*2spoon.2Di vol.68

初めてミスラがルチルとミチルの家を訪れることになった日、それが面白くないミチルはすっかり不貞腐れてしまう。しかし家を訪れたミスラが真っ先に行ったことは、チレッタの痕跡を……彼女が遺した刺繍飾りを見つけてただ眺めることだった。ミチルの強気で、頑なで、潔癖なようで、北の恐ろしい魔法使いミスラと自分たち兄弟との間に結ばれたたったそれだけの交点に心を動かされて自ら歩み寄ろうとする素朴な善良さが、カエルでの一連のやりとりとそれによってミスラに生じた心情の変化へと繋がっていったんだなと思うとぐっとくるものがある。

まほやくは「変化すること」に伴う危険や痛みもよく描いている作品だと思う。異なるものとの協調を望む時、その過程での摩擦や衝突を避けることは難しい。現にミチルは、メイン1部において助け合いを重んじ周囲にもそれを強く求めるあまり、他国の魔法使いたちとの間の溝を深めてしまった。

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魔法舎での共同生活の中で、賢者の魔法使いとして赴いた地で、さまざまな価値観に触れそれらと互いに損なうものなく共存することの難しさを知って……それでも彼が誰かを理解しようと試みることを、誰かの助けになりたいと願うことを選んだ時。賢者さんの存在がその一助になってくれたらと思う。「輝く空のペールノエル」での賢者さんのミチルへの寄り添い方、すてきだったな。

北の魔法使いたちの奔放な振る舞いに呆れ戸惑いながらも、自分なりに彼らとの心の通わせ方を模索してみるミチルの姿が描かれるカエルSSRのカドストは、彼の言う「初めて、ひとりで空を飛んだとき」のこと……雲の街メインエピソードで語られたコメーテスの少年との交流と、それを通してコメーテスの人々の生き様に……『自由』に思いを馳せるさまが重なる。

自由ってなんだろう。これもまた難しい話だ。答えのひとつとしては、北の魔法使いの己の力のみを恃み、他者との衝突を厭わない生き方が挙げられる。助け合いを好み誰かの幸せを自分の喜びとし、一方で強さに焦がれ自由に憧れるミチルにとって彼らの姿勢は容認しかねるものであると同時にひとつの理想形でもある。だからといって、頭ごなしに否定する必要はないし、ただその生き様に倣ったところでどうにかなるという話でもない気がする。自由というテーマに限った話ではなく……ミチルが何かを望むなら、その答えはミチル自身の足で、大地を踏みしめ、時に地平の果てまでも歩いて歩いて己の心を満たすものを探し出さなくてはならないのだろう。彼の未来に豊かな選択肢が広がっていることをわたしは願いたい。より善いものを求めて何かを選び続けることはきっと酷しい道のりだけど、それでも。「選択する」という自由を、ミチルが心のままに謳歌できるといいな。

ブラッドリーさんに誕生日プレゼントを渡そうと思っていたんですけど、また北の魔法使いの三人で揉めて大暴れしていて……。魔法舎に穴を開けたりするようならこのプレゼントはお預けです!

3年目ブラッドリーBDのミチルめちゃよいよね。今のミチルには北の魔法使いたちにプレゼントを渡すか渡さないかという選択の余地がある。加えてそれはブラッドリーの好むところである「交渉」という形を取ってもいるのだから‪…。

 

余談 めぐり、ながれ、またいつか

雲の街、今読むとかなりぎょっとするような話をしてる。

旅する魔法使いの一族・コメーテスがひとところに定住しない理由を、フィガロは「魔法使いは土地から追い出されやすいから、土地に執着するのをやめて最初から旅して生きている」と語る。ん‪・・・‬?

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自己紹介かな?

帰る故郷を持たずあてどない放浪に身を置き、今は衰退の一途を辿っているコメーテスたちにフィガロが自分自身を重ねているのか、その胸中が本エピソード内で明かされることはない。しかしながら、コメーテスがおそらくラテン語で「彗星」を意味するcometesに由来する名であることを考えた時、天文現象としての彗星の性質から連想されるものとしては、イベント「繋いだ絆は魔法のように」で語られたフィガロの"忘れられない流星群"のエピソードが浮かび上がってくる。

流星(「流れ星」とも言います)とは、宇宙空間にある直径1ミリメートルから数センチメートル程度のチリの粒が地球の大気に飛び込んできて大気と激しく衝突し、高温になってチリが気化する一方で、大気や気化したチリの成分が光を放つ現象です。

彗星はこのようなチリの粒を軌道上に放出していて、チリの粒の集団は、それを放出した彗星の軌道上に密集しています。彗星の軌道と地球の軌道が交差している場合、地球がその位置にさしかかると、チリの粒がまとめて地球の大気に飛び込んできます。地球が彗星の軌道を横切る日時は毎年ほぼ決まっていますので、毎年特定の時期に特定の流星群が出現するわけです。

 出典:流星群|国立天文台(NAOJ)

かつて世界を変える力を求めて、星降る夜に自分を訪ねてきたファウストフィガロは「流星雨の使者」と呼んだ。ファウストの夢に感化され「人と魔法使いが平和に暮らす世界」を目指して南の大地を拓き続けてきたフィガロが、そこで縁を結んだミチルたちと共に賢者の魔法使いとして召喚され、南の魔法使いと東の魔法使いとしてファウストとの再会を果たしたことに何か見出せるものがあるとすれば……それはフィガロが自ら「ぐちゃぐちゃの黒い線」と評した二千年の流浪に、無数に繰り返してきた出会いと別れに、ひとつの回答を与えるものなのではないだろうかと思う。それが彼の求めている答えなのか、彼の孤独を癒すものなのかはわからないけど。

さながらそれは、燃え尽きたら最後消えてなくなる、しかし夜空を巡るその儚い美しさは悠久の時を超えて語り継がれてきた流れ星の輝きが、彗星の軌跡によってもたらされるように。だってファウストフィガロに師事すべくその門戸を叩いたのだって、偶然やまぐれなんかではなく「近隣の村の病を治し、一夜にして、崩落した谷を救った」彼の偉業を耳にしてのことだったわけで。

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一族の者は残すところ少年ただひとりとなったコメーテスの現実を突きつけられてなお、それは彼らの滅びを意味するものではないと、そして少年との再会の日が訪れることを願って、ミチルはこの言葉で本エピソードを締めくくる。「また、いつか」と。それが果てしない時を生きる魔法使いたちの人生という旅路そのものへの福音のように思えて、胸がいっぱいになるわたしがいる。

ファウストとミチル、フィガロが巡り会った流星のようなこどもたち。南の魔法使いとして、賢者の魔法使いとして、北生まれの古き大魔法使いとして、それともただのなんでもない(あるいはそのどれでもある)さみしがりやで愛を知りたい彼として。フィガロは彼らとどんな絆を結んで、繋いで、託していくのだろう。どうかその縁が彼らにとって善いものでありますように。たとえ生きる場所が同じじゃなくても、いつか別れの時が来るとしても、一緒に過ごした時間が彼らの道行きを少しでも明るく、あたたかく、よろこびとともにあるものとしてくれますように。

 

 

南の好きなところ。

称号相手が全員国外にいる唯一の国であるところ。それと家族のようにおのずと寄り集まって寄り添い合える間柄であることが両立しているところ。

四人とも目に国の固有色であるグリーンが入っているところ。

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かわいい。

ルチルとミチルはそのまま虹彩の色、フィガロは北の海の空色に囲まれた瞳孔の色、レノックスはハイライトの色なのがう、うまい~~となる。

フィガロとレノックスという、生まれた地を離れ望んでこの国を居場所としている者たちがいて、それを南の地の精霊たちが認めているところ。フィガロは北の気質を色濃く有しているし、レノックスは主君を救えなかった悔恨を今でも強く誰にも癒すことができない形で胸に刻み続けているひとで、それでも彼らの留まり木としてあれる場所であるところ。のいろのまほやくの暫定推しは南の精霊たちです。

掃除好きの魔法使いでおそろいのエプロンをつけてるところ。かわいいね。

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魔法舎の個室のインテリアもなんとなく似通った雰囲気なの、やっぱり一緒にお買いものしたからなのかな〜とか思いながらレノ親愛の羊のクッションの話読み返したけど改めてこんなに可愛いことってある?

全員が幼少期をなにかしらのコミュニティの成員として過ごしているところ。『互助』という観念が、文字通り生まれた時から身近にあった魔法使いたちであるところ。それは南の国という共同体が孕んでいる"人を選ぶところ"というか、ある種の残酷さの表れだと感じる自分がいる。そういう彼らだから「生きていくために他者を必要とする」南の性質に馴染めたのだとも言えるから。だから自分には南は合わない、と公言している魔法使いたちの顔を思い浮かべると、ああとなる。残酷なのが好きというのとは違って、共同体を描くということへの真摯さがみえるから好ましく思えるって感じかな。(どんな集団にも同質性とそれに伴う排他性はついて回るものだとわたしは思うし、それは一概に否定される必要も、肯定される必要もないはずなので)

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2周年カードの南専用特性である『祝宴』のフレーバーテキスト。「あなたに出会えてよかった」、ひととひとの人生が交差することへの、こんなにシンプルでまっすぐな肯定の言葉ってそうないと思うから。

カエルでも"言葉にすること"の大切さが語られていたし、南、やっぱり思ったことを声にできる人たちであってほしいし、それでぶつかり合うことがあったとしても何十回でも何百回でも仲直りができる間柄でいてほしいなぁ。「ごめんなさい」も「ありがとう」も「大好き」も何回言ったって言い足りない、そんな関係。

 

 

追記 この記事は一ヶ月以上?書いたり消したり言葉選びに悩みながらようやく公開に至ったのだけれど、内容の巧拙はともかく自分の中で踏ん切りをつけるために何かを書き上げるってちゃんと意味のあることなんだな、と普段ちゃらんぽらんに思いつきの言葉ばかりを垂れ流している人間なりにいま実感をしている。それにしたって長すぎだけどね!反省。(注意散漫…集中力の欠如…)

吹っ切れた勢いで2部までに過去のイベストしゃぶり尽くせたらいいね

 

 

*1:ほんとは2年ほど前に少しだけ触らせてもらってた時期があるのでこれはちょっと正しくない。シャニマスにシステムが似てると聞いたのがきっかけだったんだけど実際育成システムは近いしオート機能がけっこう優秀なのでながらプレイも快適だし、なによりおれがシャニのオタクとまほやくの話がしたくてたまんないのでよろしくお願いします。

*2:正直なところ、まほやくのゲーム外での豊富なメディア展開(雑誌掲載のSSなど)には思うところがないわけではないし、これらをゲーム内テキストと並べて必読のものとするような風潮の高まりを助長したくない気持ちはかなり強い。その上でこのテキストを取り上げることを決めたのは、このエピソードに自分がミチルに感じている強烈な魅力が端的にみてとれる形でぎゅっと詰まっていたからなのと、単純に筆致がめっちゃ好きなお話だったからこの記事をきっかけに読んでくれる人がいたらいいなというほのかな期待からだ。

ミチルとルチルのわずかにすれ違った心とすれ違いながらも想い合う健やかさ。ミチルとフィガロの今日に至るまでにきっと幾度となく重ねてきたであろうひそやかで繊細な心の交流。抱えたさまざまな思いが推量されながらも、チレッタの遺品を見つめるその眼差しはきっと穏やかなものであっただろうことが窺えるミスラ……そういったものが、飾らない美しさの文体でおおらかに綴られているところがとても好ましい。少年のざらついた、けれどひたむきな胸中をむきだしに描くさまは児童文学の短編を読んだような気持ちにもなる。(わたくしの文学的感性の大半は児童文学を通じて育まれたものなので、わたくしの言う「児童文学のような」は限りなく最上級に近い好意の表現だと思ってください)